プログラマーをやめたその後

 おはようございます。今日は朝から暑いですね。通勤電車でもスーツを脱いで通勤している人もいました。しかしスーツって夏着るものじゃないですよね。ヒロシ風に言うと
 「ヒロシです。お金がないので冬用スーツしか持っていません。死ぬほど暑いとです」

 「プログラマーをやめた理由」にたくさんのコメントをいただいて驚いています。そして同感していただける人たちが多くいらっしゃるのがとてもうれしかったです。
 私がプログラマーをやめたのは10年くらい前の話です。今は私がやっていたころより厳しくなっているということを聞いています。短納期でのカットオーバー、オフショア開発による単価の低下など今現場におられる方の苦労はかなりのものだと思います。

 私自身いまだ夢を実現するために努力している最中ですが、プログラマーを辞めた後のことが参考になるかなと思ったので少しお話したいと思います。

 実際には突然きっぱりやめたのではなくてじょじょにフェードアウトしていった感じです。ちょうど10年前くらいインターネットが普及しだしたばかりのころで、ネット関係のビジネスをやっていた会社に入って当時ではまだあまりなかったウェブ開発をやっていました。また同時にそこはホスティングもやっていたためネットワークの管理も少しやることになってそちらが面白くなってネットワーク系の仕事に移行していきました。

 ただネットワークを教えてくれる人は誰もいなかったので自分で勉強するしかありませんでした。私は小さい会社を転々としていたのでちゃんとした教育プログラムがあるところに行ったことがありません。
 自宅に当時始まったばかりのOCNエコノミーを引いてLinuxFreeBSDのサーバーを5台くらいたててDNS,メール,ウェブサーバー、DBなどを実際に構築して勉強しました。かえってこちらの方がセミナーを受けるよりも覚えると思います。
 
 一時期Ciscoエンジニアを目指してCCIEを目指していたことがありましたが、金額があまりにも高くて個人でとるようなものではありませんでした。それにベンダー試験は実際の実力を証明するというよりも企業の囲い込み戦略にすぎないことがわかってやめました。私がプログラマーになったころはベンダー資格なんかありませんでしたが、すでにOracleUnixのエキスパートがまわりにたくさんいましたからね。

 私は結構転職していますが、転職の合間にアメリカに留学しました。行くときは卒業するつもりで行ったのですが、経済的な理由と世間から取り残されるような感じがして1年で帰ってきました。はっきりいって大学の勉強は役に立ちませんでしたが、いろんな国の人たちと英語でコミュニケートできたことはすばらしい体験だったと思います。アメリカの大学は世界中から学生が集まってきますからね。

 5年前に友人に誘われてビジネスをはじめたんですが、相手が色々問題があり結局一人でやるしかなくなりました。それでフリーエンジニアになったという感じです。フリーになって感じたのは人間関係が大事だということです。私の場合大体知り合い経由で仕事をいただくことが多いです。それは前に一緒に働いていた人たち経由だったり、以前の会社の出入り業者さんだったりします。
 そこで思ったのは誰に対しても誠実に対応すべきであるということでした。よく業者を奴隷のように扱う企業の担当者がいますが、その業者さんがいつか自分のお客さんになるかもしれません。もしそんな不遜な態度で人に接していると困っているときに助けてくれる人はいなくなってしまいます。

 独立するとお金のことは自分で管理しなければいけなくなります。確定申告をしたり請求書を出したりとサラリーマンの時はやったことのないことをやらなければいけません。私のように会社を持っていると会計も理解する必要があります。
 私は一時期お金に困った時期があって経理をやらざるを得ない状況に追い込まれたことがあります。しかしピンチはチャンスで、会計のことがかなりわかるようになりました。毎月のお金の出入りを把握しキャッシュがショートしないよう常に気を使うのが経営者の仕事です。私が思うのは社長の仕事の第一番は資金繰りだと思います。このスキルがない社長は社長をやってはいけないと思います。

 こんな経緯を経て今はフリーエンジニアとしてネットワークやセキュリティ、ウェブ関係のシステム構築や提案業務を主にやっています。

 これからどうなっていくか自分でもわかりませんが、起業家を目指してがんばっていきたいと思っています。いつかはシリコンバレーでもやっていける企業を作ってみたいですね。