人を判断する無意識

 昨日少し飲みすぎて今日は少し二日酔いです。普段あんまり飲まないんですが、ストレスがたまっているのでしょうか、少し量が過ぎたようです。気をつけないと。

 私はあまり人を見る目がありません。最近も信頼していた人が思っていたような人ではなかったことがわかり、本当に人を見る目がないなと思いました。
どうも人を判断するときは頭を使わないほうがいいように思います。
ここでいう頭とは脳でいうと前頭前野で論理的に考える部分を指しています。
その人が話す言葉や行動だけで判断するのは難しいと思います。

 私の少ない経験から考えると無意識の感覚が一番信頼できるかもしれません。
人と付き合っていて何か違和感を感じることがあります。
言っていることは正しいし実績もあるのだけれども何か違和感があるというのはある種のアラームを脳が発しているのかもしれません。
私は今まで信頼できなかった人に対して常に説明できない違和感を感じました。

 最近の脳科学で人の脳は記憶をパターンとして格納していて、新しい情報が入力されるとそのパターンと比較するということを行っているという仮説が発表されています。
例えば日常の動作は私たちは全く意識しないで行うことができます。
コンピューターはいちいち3次元座標を計算してからでないと動くことができませんが、人間の脳は常に記憶されているパターンと照合して環境の判断をするそうです。
そうしないといちいち計算していたら間に合わないですからね。
 
 長い人生では人はいろんな人と会います。
その記憶がどんどん蓄積されていくと人を見る目が無意識の脳に作られていくのかもしれません。
無意識のうちに過去の人データベースを比較しているのでしょうね。

 生物は進化の過程で危険を察知する機能が組み込まれているようです。
ただ人間は高度に文明が発達した社会ではその能力が退化しているのかもしれません。
日常生活で命の危険にさらされることはないですからね。
人を判断する目を養うためには生物としての失われた能力を取り戻す必要があるのかもしれませんね。

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