考えさせる教育

 昨日会社帰りに職場の人と飲みました。
御茶ノ水のメキシコ料理屋だったんですが、トルティーヤがおいしかったですね。

 昨日飲んでいて話になったのは日本の教育についてでした。
その中で日本の教育は学生運動を境に今のような形になったのではないかという話になりました。
そのころの学生は世の中のひずみに敏感でイデオロギー的な考え方に染まっていたためあのように行動したのかもしれません。
 私は共通一次世代ですが、確かにそのような社会的なことを考えるようなことはなかったですね。
為政側にしても受験戦争というものでそういったものから目をそらせようとしていたのかもしれません。
学生運動前の人たちが自分の信念に基づいて暴力行為を行ったことはよくないと思います。
しかし現状に疑問を感じて考える能力は私の世代よりもあったのかもしれません。

 しかし自分でビジネスをしようと思ったときに人材がいないと感じるのは私だけではないかもしれません。
これは日本の教育のせいだと思います。
自分で考えるトレーニングを受けていないため、組織から離れたとたんに生きていけなくなる人がとても多いように感じます。
学生の最終目的である大学受験では自分で考えないトレーニングばかり行うからではないでしょうか。

 私は中学校のころ幾何学が好きでした。
全ての図形は三角形を基本として構成されるという美しさに魅了されました。
私はひとつの問題をじっくり考えるのが好きで、何日もかけて解いたこともありました。
しかし受験ではゆっくり考えることを許さないために記憶をして時間内に解くトレーニングをしなければいけませんでした。
結局受験でいい点を取れる人はものを考えなくなっていくことになります。

 私は仕事でいい大学を出たエリートの人と一緒に働くことがたまにあります。
彼らは一を聞いて十を知るといった能力の持ち主で話したことを正確に理解する能力には驚いたことがありました。
しかし、自分で考えるというフェーズになると自分で考えずにどこかの本で書いてあるようなことをそのまま言っているといった感じでした。
なので例えば大企業では通用するのでしょうが、小さい会社では役に立たないなんてことを見たことがあります。
これも日本の教育の弊害なのだろうと感じたことがありました。

 私は前から不思議に思っていたこととして、なぜアメリカのIT企業は新しいアイデアを考え出せるのかというのがありました。
最初はあちらのほうが頭のいい人が多いのかなと思いましたが、アメリカの大学の教育を受けてわかったのは彼らは考えさせる教育をしていたというのが答えでした。

 日本の今までの教育は海外の知識をそのまま詰め込んで追いつくのには偶然にも有効だったのでしょうが、自分が新しいものを生み出す立場になるととたんにだめになってしまったように思えます。
今IT業界で有名な経営者はほとんどアメリカのものを日本に持ち込んで成功した人がほとんどです。
ソフトバンクはタイムマシン経営と呼ばれてYahooやE-Tradeなどのインターネット企業を日本に持ち込むことによって成功しました。
楽天やSIベンダーも同じですね。

 このようにアメリカと日本のIT企業を比べただけでもビジネスのオリジナリティという点で明らかに差があります。
これからの日本の教育はもっと考えさせる教育に変えていくべきではないでしょうか。
もう追いつき追い越せの時代ではないと思います。
新しい価値を創造できる人材が出てこないと日本は国として凋落していくでしょう。

 後、日本の英語教育は間違っていると思います。
日本人がなぜ英語ができないか。
簡単なことです。日本では英語を使う必要がないからです。
それなのに小学生から英語を教えて、大学受験ではリスニングのテストをさせます。
だいたい問題を出している大学教授が聞き取れるのかも怪しいと思います。
日本人に英語能力をつけたいのであれば外国人にとって住みやすい国にすればいいのです。
そして外国人とコミュニケートする機会を増やせばいいのです。
今どきは英語圏以外の外国人同士でも英語で話します。
これだけ外国人に排他的な政策をしていれば移民が少ないのは当たり前です。
ただ移民は国の治安にも関わる問題なので難しいのは理解できます。
結局日本の英語教育など頼りにせず自分で海外にいったほうがいいと思います。
いまや飛行機代も安くなりましたからね。

 日本の教育機関はつまらないことで生徒を競争させるのではなく、これからの時代を担う人材をどうやったら育てられるか考えてほしいものですね。
こちらのBlogは子供たちに考えさせる教育について語られているので共感しました。
このような人たちが教育する人たちの中で増えるといいのですが。