モノの先にあるもの

 日本の経済を発展させたのはまちがいなく製造業です。
資源のない日本が世界で稼ぐためには車や鉄鋼、電機製品などを売って稼ぐしか生きる道はなかったと思います。
なので日本の優れた経営者はメーカーに多くいますが、彼らの本を読んでいるとどうしても世代ギャップを私は感じてしまいます。
それは彼らがあまりにもハードウェアとしてのモノにこだわりすぎているように思うからです。


 私は会社の価値は社会にどのような価値を与えたかによって決まると思っています。
企業のバリュエーションでは予測される利益によって行われますが、この方法が本当に企業価値を表しているのかいまいちわかりません。
今のところそれで計るしかないから仕方がないのかもしれませんが。
企業価値の考え方で考えるとモノ自体に価値があるのではなくそのモノを利用することによってユーザーが得た価値が重要なのではないかと思います。


 ITの世界ではだんだんモノが介在しないビジネスに移行してきています。
最初はAppleなどのハードウェア企業がソフトウェア込みでPCを売り出しました。
その後、Microsoftがソフトウェアだけを売るビジネスはじめて、最近ではGoogleやYahooがインターネット上でサービスだけを売るビジネスで大きくなりました。
これはつまりハードウェアからソフトウェア、そしてサービスへとモノから利便性提供へとビジネスが変化しているということです。
もちろんこれらのビジネスを行うためにはモノというハードウェアが必要ですが、それはユーザーのやりたいことを実現するための手段でしかありません。


 ひるがえって日本を見てみるといまだにモノに重点がおかれています。
本当はモノなんかなくてできるようになったほうがいいに決まっています。
車がなくても高速に移動できたり、家がなくても快適な住環境が実現できればすばらしいと思います。
しかし、技術がそこまで発展していないからモノが必要になるという発想のほうが私は好きです。


 ビジネス系の雑誌をみても「ものづくり復権」みたいなことを書いているものが多いですが、それを見ていると日本はいまだに過去の栄光から抜け出せていないのだなと思います。
本当に重要なことはユーザーに価値を提供できてはじめてモノに価値があるということではないでしょうか。
そう考えると本当はモノもユーザーがメリットを受けた分だけお金を払うという形が一番自然のような気がします。
例えば車で早く目的地に着くことができたからお金を支払うという形です。
しかし、それで企業がやっていけるのかはわからないんですが、世の中そちらの方向に行っているのはまちがいないと思います。
 もちろんこれは資本主義で基本となる私的所有という考え方にあわないやりかたです。
資本主義は私的所有を認めることによって発展してきました。
しかし、それは資源が限られているから必要なのであってソフトウェアやインターネットではいくらでも資源を増やすことができます。
ソフトウェアはいくらでもコピーできますし、Second Lifeなどのバーチャルな空間はいくらでも増やすことができます。
もちろんそのためにはハードウェアが必要だという制約はありますが、かつてほどモノにこだわらなくてもよくなってきていると思います。
将来、モノを作る技術が進んで一瞬で欲しいモノを作れる時代がくれば私的所有があまり重要でなくなっていくような気がします。
そして製造業がサービス業に近くなっていく可能性があります。
モノは目的ではなく手段であるという考え方ができれば日本の製造業はこれからも発展する可能性があるのではないでしょうか。