論理哲学論考を読む

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哲学というとわけの分からないことを難しく考えるというイメージがあったのですが、実は日常生活で誰しも疑問に思うことを系統立てて考えることだったというのがこの本を読んで少し分かったような気がします。
原著である論理哲学論考はドイツの哲学者ヴィトゲンシュタインが20代に書いた本です。
しかし、論考は難解な本なのでそれを噛み砕いてわかりやすく書かれたのがこの本です。
それでも、まだ難解なのですが。


この本はあるITコンサルタントの方が書いた本で勧められていたのですが、ITの仕事とは関係ないだろうと思ってました。
私はなんかこれが理解できるとかっこいいなというので読み始めたのですが、読んでいくと仕事の中でなぜうまくいかないのだろうと思っていたことと通じることが書かれていました。
例えば、システムを設計する上では曖昧さは排除しなければいけないのですが、いつも曖昧なところが必ず出てきました。
それは言語が元々持っている性質だったようで、だからシステムを作るときに障害になっていたのかというのが理解できたりしました。


内容をちゃんと理解したかどうか自信はないのですが、自分なりに理解したことを書いてみようと思います。
論理哲学論考のテーマはシンプルで「思考の限界を思考することができるか」ということです。
シンプルだけどちょっとわけがわからないですね。
そして、思考の基礎となるのが言語です。
ヴィトゲンシュタインは言語がなければ思考できないと考えているみたいです。
言語というのは話したり読み書きできる言葉というだけでなく、絵や音楽など情報を伝えるものは全部言語としているみたいです。


まず、論考では2つの世界を考えます。
現実の世界を「世界」と呼び、可能性として存在しうる世界を「論理空間」と呼びます。
言いかえると、現実の世界とは見たり触れたりできる現実のことで論理空間とは自分が想像する世界です。
つまり、想像上の世界である論理空間をどう把握するかが思考の限界を考える上で重要になります。


この後、論理空間の分析へと入っていきますが、これを読んでいてソフトウェアを開発するときも同じことを考えていたことに気がつきました。
ソフトウェアとは実際に手に取って触れない物です。
論考でいう論理空間に存在する対象です。
今や当たり前になったオブジェクト指向開発はこの想像上の対象を現実の物に対応づけて考えようとする方法です。
人間は現実にないものを想像するのが苦手だから、現実のもののように見ようとしていたのでしょうね。
そして、論理空間とは実際の世界では起こらなかった可能性を含まなければいけないため現実の世界よりも大きくなってしまいます。
ちょっとしたシステムでもすぐに規模が大きくなってしまうのも、様々な可能性に対応しなければいけないですからね。
とこんな感じで論考の内容ってシステムを作るときに考えていたことと重なるところが多いなーと思いました。


論考の最後の言葉で「語りえぬものは沈黙せねばならない」というのがあります。
なんか当たり前のことを言っているみたいに聞こえますが、これはかなり深い言葉です。
例えば話す内容がナンセンスにならないのは理屈がちゃんと通っているからです。
例えば「富士山は日本一高い山だ」は意味がありますが、「富士山はあの会社で働いていた」はナンセンスになります。
このように話される内容はある論理に従っていますが、その論理自体を話すとなるとわけがわからなくなってしまいます。
つまり、論理自体は話すことができません。(本当かな?)
ヴィトゲンシュタインはこのような語ることのできないこともあることを受け入れようということを言っているのだと思います。


また、論考では言葉をどんどん分解していって要素となる言葉を見つけようとします。
しかし、私たちが普通に使っていることばではそれが見つかりません。
例えば、「少年」という言葉は「子供」かつ「男」という要素に分解できます。
しかし、よく考えると子供というのは少年と少女にも分解できるとも考えられます。
結局、永遠にぐるぐる回って要素となる言葉にはたどり着けないということになります。
言葉には元々このように数学のように理路整然としない曖昧なところが結構あります。
システムの仕事をしていてもなぜ曖昧な部分がどうしても出てくるのか不思議でしたが、元々私たちが使う言葉に原因があったということなのでしょうね。
ちょっと違うかもしれませんが、多くの企業で業務の効率アップのためにシステムを入れようとしますが、その維持管理にかえって労力とコストがかかってしまうということがあります。
業務効率アップという言葉もよく考えてみるといろんな意味を含んでいるので曖昧になってしまいます。
だから、言語というのは曖昧な表現しかできないところがあるということを認識すべきなのだと思います。


これから21世紀で最も必要になる知識は哲学かもしれません。
なぜならばこれからはいろんな場面で思考するということが求められるようになると思われるからです。
今、世界のビジネスを見ていると物を中心としたモデルから論理空間を扱うモデルに移行しつつあります。
具体的に言うと、大量生産大量消費のものを中心にした経済からサービスやソフトウェア、特許など知的財産を中心にした経済に変わってきました。
そして知識もかつて日本が行っていたような海外の最先端の知識を持ってきて国内に紹介するということではなく自らが新しいことを考えなければいけない時代になりつつあります。
そのようなときに哲学が有用なツールになるのだと思います。


パーソナルコンピューターのコンセプトを考えたアランケイはゼロックスの研究所で働いていたとき、多くの優秀なエンジニアと一緒に働いていました。
しかし、そのエンジニアたちがあまりにも技術に傾き過ぎていることを嘆いていて、本当に大切なのは哲学であると常に語っていました。
アランケイの言う哲学とは物事をどう考えるかというポリシーみたいなものだったのだと思います。
大学で教えているような哲学がそれにあてはまるのかどうかはわかりませんが、少なくとも論理哲学論考は物事の思考方法について思考させるための本だと思います。

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