学歴社会の問題点

Twitterでの大学に行くことについての議論を見ていると日本人の考え方がわかっておもしろい。


ひろゆき 『「大学行かない立派な人もいる」って言われたら、なんて答えればいいんだろう。』
http://togetter.com/li/55168


大多数の人たちは大学へ行ったほうがいいという考え方なのですが、どうも一面的にしか物事をとらえていないように感じます。
私も大学に行って教養や技術を身につけることはいいことだと思います。
しかし、日本の学歴社会の問題点はある年齢に大学に行かないといけないという暗黙の圧力があることです。
まず、日本企業は今問題になっている新卒採用というやり方をとっていますが、この制度では社会人として働いた後大学に行った人は対象外になります。
さらに大学院へ行って修士号や博士号をとった人も就職しにくい状況になっています。
事実上、日本の大企業は18歳または19歳くらいに大学に入学した大卒者以外を雇用の対象から排除することになります。


このように、ある決められた人生パターンしか許されない日本の学歴社会のシステムは非常に問題があると思います。
人によってはその時期に勉強したくない人もいるでしょうし、他のことに打ち込んでいる場合もあるでしょう。
また、経済的な理由でいけなくて働いてお金を貯めてから大学をめざす人もいると思います。
しかし、日本社会ではそういう人たちをドロップアウトと決めつけて排除する傾向にあります。
これは社会にとっては大きな機会損失となっているのではないでしょうか。


また、日本の大学そのものにも問題があります。
日本の大学では異常に難しい入学試験を課すのに比べて、入学後は大多数に人たちが卒業することができます。
実際に学生はほとんど授業にでなくても単位がもらえるためあまり勉強しないようです。
なので日本の学生は高校3年生が一番頭がいいなどと言われるのも仕方のないことなのでしょう。
もちろん、まじめに勉強している人たちもいるのでしょうが、しなくても卒業できるというのは教育機関としての存在意義を疑われても仕方がないでしょう。


他の国に目を転じてみると、アメリカは日本以上に学歴社会です。
しかし、大学は入学試験はほとんどなく公立の大学は授業料も安いので誰でも大学で勉強することができます。
そのかわり、卒業するのは大変でかなり勉強しないと落第してしまいます。
また、いろんな年齢層の学生がいて、働きながら学位取得を目指している人もたくさんいます。
そして、社会としていろんな人生を許容してくれるので、年をとっても学位をとれば身入りのいい仕事につくことができます。


ただ、アメリカの教育システムも問題があります。
高校までの教育システムのクォリティがよくないので国全体としてみると国民の学力が低いようです。
多民族国家だからなのかもしれませんが。)
また、自由競争が基本なので一方的な授業のみであとはテストで選別するというやり方で学生へのフォローが弱いように感じました。
さらに、アメリカの大学システムも今変革の時期にさしかかっています。
インターネットが普及することによって従来型の大学の存在意義が問われているからです。
はたして、4年も費やして大学にいって何のメリットがあるのか、社会の変化に大学はついてこれていないのではないかと多くのアメリカ人が考えるようになっています。
これはアメリカ社会が20世紀型の企業に雇用されるスタイルから起業したりフリーランスとして働くようになってきたからなのかもしれません。
そういう社会では学歴よりも顧客に何が提供できるかが問題になります。
なのでアメリカでの学位の価値が下がってきているのも自然の流れなのかもしれません。


こういう状況を見ていると日本がかなり遅れている感じがします。
18歳で入学した大学で人の価値を決めるというシステムは変化の激しい時代にはあまりにも硬直的で生き残ることが難しいでしょう。
もちろん大学で学ぶことは人材価値をあげるひとつの方法として有効でしょう。
しかし、この情報化社会で学ぶ方法などいくらでもあります。
日本人は英語が苦手だといいますが、いまや海外旅行は格安航空会社が参入してますので安いコストで海外にいけるようになりました。
また、電子書籍やSNSによって英語を使う機会もたくさんあります。
私は高卒ですが、私よりも英語のできない大卒の人たちがたくさんいます。


これからは大卒という単一の基準で判断するのではなく、いろんな側面から人を評価する時代なのだと思います。
それは、企業の人を採用する側からすると面倒なことでしょう。
どこかのお墨付きが付いていれば誰でも簡単に人を評価することができます。
しかし、それでは優秀な人材は確保できない時代になっているのではないでしょうか。


ただ、実利的な面だけでものごとを学ぶというのも視野がせまくなると思います。
私のまわりにもいい仕事を得るためにMBAをめざす人がいました。
しかし、そういう人は役に立たない勉強はしない傾向にあるので人としての厚みがないように感じました。
役にはたたないけど数学が好きだとか歴史がおもしろいとか思っている人たちのほうが人としての魅力があります。
もともと西洋では大学は宗教を教える場としてはじまっているので、本来大学は役に立たないことを学ぶ場所なのかもしれません。
そういった教養を誰でもつけられる場としての大学はこれから必要になるのではないでしょうか。


私も以前は学歴がないのでコンプレックスを感じていましたが、いろんな国にいったりいろんなことを自分なりに学んで人の価値なんてひとつのものさしで測れるものではないと思いました。
私の生き方は日本社会では少しはずれているのかもしれませんが、世界でみれば全然問題ないでしょう。
日本もはやくこの硬直したシステムから脱却していろんな生き方を許容する社会になっていけばいいなと思います。
そのためには私たち個人々々が考え方を変えていかないといけないのだと思います。