誰のための大学?

 おはようございます。今日の東京はどんより曇っていて5月だというのに肌寒い日が続いています。

 私は仕事がある程度落ち着いてきたら本格的に自然科学の勉強をしたいと思っています。もともと自然がどのような法則で動いているのかに興味があって自分なりに本を読んだりしていました。物理学や生命科学などを勉強すると人間の考えたものがいかに稚拙かを思い知らされます。ただお金儲けにはなりませんのでまずは稼いでからの話なんですが。
 そういったことを勉強するためには普通大学に行きますよね。ただ大学はそもそも特権階級の教育機関でヨーロッパでは貴族や金持ちしかいけなかったとのことです。その流れなのか大学というところはやたら権威的で私はあまり好きになれませんでした。そもそも平民である私たちがいける場所ではないということかもしれません。

 日本の大学は基本的に税金でまかなわれています。私立でも補助金などで税金が多く投入されています。財政を国に抑えられている今の日本の大学は政府の意向に沿って運営していくしかないのでしょう。
 しかし今の日本の大学は顧客である生徒のニーズに答えていません。大多数の人はいい仕事についてお金儲けをしたいから大学に行くのです。しかし大学は生徒に社会に出て一人でやっていけるようなスキルを教えられません。そもそも教えている人たちが一般社会で働いたことがない人がほとんどですから仕方がないのかもしれません。

 アメリカの大学もそういう点では同じだと思います。私はコンピューターサイエンスを勉強しにアメリカの大学に行きました。日本よりは社会に出て役に立ちそうなことを教えていました。ただわざわざアメリカまでこなくても一人でも勉強できることでした。そのとき思ったのは大学はテストを受けにいくところだということでした。授業もビデオで見れば教室に行く必要もないし質問もメールで大体すんでしまいます。ただ英語の勉強にはなりましたね。それも大学のESLで勉強したからではなく寮に入って友達とだべっていて自然に英語が話せるようになりました。

 現在の大学は運営している人たちのために存在していると思います。つまり顧客ニーズを考えなくてもいい、学位というブランドを売るビジネスです。昨日TVでまさしくお金で学位を売るアメリカの大学の特集をしていました。お金さえ払えばだれでも博士号がもらえます。これは顧客ニーズを究極的にあらわしている事件だと思います。もちろんこのようなことが続けば大学のブランドの信頼性がなくなってしまいますのでよくないことです。
 大学の売るものはブランドです。これを守るために権威的になっているのでしょうが、税金を使っている日本の大学はもっと将来の納税者である生徒のことを考えて運営されるべきではないでしょうか。

 もし私が人を雇う場合こんなことを勉強してきた人と一緒に仕事をしたいと思います。
 ・ ビジネスを理解している
  株式会社はどのような構成で運営されているのか、企業価値はどのように評価されているのかをわかっている。
 ・ 英語ができる
  大学入試の暗号のような英文問題を解く能力ではなく、コミュニケーションツールとして英語が使える。特に話したり書いたり自分から発信することが好きである。
 ・ 論理的な思考ができる
  物事を論理的に理解、説明することができる。またシミュレーション的な思考ができて予測や計画を立てる能力がある
 ・ 特殊技能をひとつ持っている
  電子回路が作れる、金融工学に詳しい、斬新なデザインをするなど自分の好きなことをきわめようとしている。
 これからの大学はこれらのような社会に出て必要となるスキルを洗い直して学生に効率的にトランスファーできるよう運営を変えていく必要があるのではないでしょうか?

 しかし私は日本の教育システムにはあまり期待していません。国の意向が反映している組織で個人が大切にされることはないと思っています。同じ問題意識を持った市民がNPOで行うのが一番いいかもしれません。マーケットで日々戦っている人々の頭脳を集めてそのような教育機関ができれば理想ですね。