学歴とスタートアップビジネス

ポールグレアムのBlogにはいつもInspireされます。

彼は最近の記事でこんなことを書いています。


My three partners and I run a seed stage investment firm called Y Combinator.
We invest when the company is just a couple guys and an idea.
The idea doesn't matter much; it will change anyway.
Most of our decision is based on the founders.

彼らがやっているYコンビネーターというベンチャーキャピタルではアイデアと一人もしくは二人くらいの起業家に投資をしているけどアイデアで投資するか決めているわけではなくあくまで人を見て決めていると言っています。
アイデアは変わっていくものだというのは自分もそうだと思います。
私も最初に考えていたことがやっているうちにだんだん変わっていって今では別物になったという経験は結構あります。


The test applied to a startup is among the purest of real world tests.
A startup succeeds or fails depending almost entirely on the efforts of the founders.
Success is decided by the market:
you only succeed if users like what you've built.
And users don't care where you went to college.

スタートアップ企業は現実の世界でテストを受けているようなものです。
その企業が成功するか失敗するかは起業家の努力によるところが多くて、その結果を決定するのはマーケットです。
お客さんは自分が欲しいものにお金を出すのであって提供している人がどの大学を出たかなんて考えませんからね。


組織に属する場合はこのことが忘れられがちです。
いい給料をもらおうとするといい大学を出ていい会社に入ったり資格を取ったりすることが重要だと考えます。
しかし、その会社も顧客からお金をいただかないとたちいかなくなってしまいます。
そのことを理解している人が意外に少ないんですよね。


Between the volume of people we judge and the rapid,
unequivocal test that's applied to our choices,
Y Combinator has been an unprecedented opportunity for learning how to pick winners.
One of the most surprising things we've learned is
how little it matters where people went to college.

Yコンビネーターでは一年に40社ほど投資しているそうですが、その40社は2000人の申し込みから選んでいるそうです。
その中で彼がわかったのはどこの大学にいったかというのは成功するしないに関係ないということでした。


アメリカは日本以上に学歴社会で大学に出ていないとまともな会社には入れません。
なのでアメリカでは大学に行ったかどうかは人を判断する上でとても重要なことなのです。
ただアメリカの大学は州立であれば授業料が安くて入試も難しくないので誰でも入って勉強することができます。
なので働きながら自分のお金だけで行っている学生が結構います。
それに比べ日本では親にお金を出してもらわないと大学には行けません。
(もしくは奨学金などを使う手もありますが。)
従って親の経済力で大学に行けるかどうかが決まる日本はその点ではアメリカより格差があると言えるかもしれません。


There used to be a saying in the corporate world:
"No one ever got fired for buying IBM."
You no longer hear this about IBM specifically,
but the idea is very much alive;
there is a whole category of "enterprise" software companies
that exist to take advantage of it.
People buying technology for large organizations don't care
if they pay a fortune for mediocre software.
It's not their money.
They just want to buy from a supplier who seems safe
―a company with an established name, confident salesmen, impressive offices,
and software that conforms to all the current fashions.

かつて企業ではIBMの製品を買ってクビになった担当者はいないと言われていました。
今はもうそんなことはありませんが、この考え方が企業が人を採用するときにもいまだに適用されているようです。
有名な大学を出ていればとんでもない人間は少ないだろうし、いても自分がせめられる事がないと考えるのでしょう。


結局人を判断するのは難しいから、大学というわかりやすいラベルで判断しているということなのでしょう。
会社組織だったらそれでもいいでしょうが、ベンチャーキャピタルが人を判断するときはそれではだめですね。
銀行もある意味同じでしょうが、人を見るというのは難しいことだと思います。


Indeed, the great advantage of not caring where people went to college is
not just that you can stop judging them (and yourself) by superficial measures,
but that you can focus instead on what really matters.
What matters is what you make of yourself.
I think that's what we should tell kids.
Their job isn't to get good grades so they can get into a good college,
but to learn and do. And not just because that's more rewarding than worldly success.
That will increasingly be the route to worldly success

人を判断するときはどこの大学に行ったかを見るのではなく何をそこで学んで何をしたかを見るべきです。
子供たちにはいい成績をとっていい大学に行くのではなく本当に大切な事を学んで実行していくことが大事だと言いたい。
それが本当の成功への道だと思います。


私は以前大学で勉強したとき、単位のとりやすい科目ばかりとって成績をよくしようとする人がとても多かったのをおぼえています。
確かにいい成績をとればいい会社に入りやすくなるし、同じ単位数でも取るための労力が全然違います。
しかし私は何か違和感を感じました。
そんなのでいい成績とっても意味があるのかなと。
私は情報工学と数学を取っていましたが、両方ともラボはあるし計算問題をいっぱいこなさないといけないのでとても手間がかかるものでした。
結局はいい成績を取れませんでしたが、いまから考えると自分のためになったと思います。
人には認められなくても自分がいいと思う事を信念をもってやっていれば、苦労した分自分に返ってくると思います。


大学って学ぶ場所でしかないのにいつの間にかブランドになってしまって人の価値を表すような風潮になってしまいした。
しかし本当はそこで何を学んだかが大事だと思います。