コップの水

 人にはそれぞれの生い立ちがあります。
恵まれた環境に生まれた人もいれば不遇な環境に生まれた人もいます。
私もあまり恵まれていませんでしたし、自分の親や大人たちが先送りした問題を自分が解決しなければいけない状況にあると憤りを感じることもあります。


 しかし、今は生きているだけでよかったのではないかと思うようになりました。
今はだめな親でも自分を育ててくれたし、今まで生きてきた境遇も私よりもっと不幸な人はたくさんいると思います。
今、北朝鮮の人たちはもっと大変でしょうし、戦争中の日本人も徴兵されたりして厳しい状況でした。
そう考えると今の自分は自分の好きなように自由に生きているので恵まれているなと思います。


 よくコップに半分の水が入っているときに半分しか入っていないと思うか半分も入っていると思うかという心理テストが話題になります。
ここで半分も入っているという気持ちで生きていくことがいいのでしょうね。
 現状をなげいていても自分にとって何もいいことはありません。
今いる境遇で自分のベストをつくせばいいんだと思います。


 後、最近だめだなーと思う人が多いのですが、人は基本的に駄目なのではないかと思うようになりました。
自分だって駄目なところはたくさんあるし、若い頃の自分はもっとだめだったなと思います。
ただ最近だめな人の後始末をさせられることが多いのでちょっとだめな人にうんざりしているのですが。


 よく理想の経営者とか戦国大名について書いたビジネス書が売れていますが、ああいう人たちというのはごく一部の優秀な人たちで大多数の人たちには全く参考にならない話だと思います。
自分も織田信長みたいに生きろといわれても無理ですしね。
 それで最近思うのは人は元々だめなものなのだからいちいち目くじらをたてて起こるのはやめようと思いました。
ある程度寛容な目で見ることが自分の精神衛生にとってもいいことだと理解しました。
ただそれにも限度がありますが。


 人生って不公平だと思います。
生まれた環境や天性の才能など個人の努力ではどうしようもできないことがあります。
ただその制約のなかでいかに生きるかというのが楽しめればいい人生になるような気がします。