まちがったツールの使い方

前にBlogで議論について書いたのですが、そのときふと思ったことがありました。
それは議論の使い方をまちがうと危ないのではないかということでした。


実際に仕事でそんな場面を見たことがあります。
プロジェクトでどの製品を導入するかについて話し合っていたとき、ある人が自分の考えをまとめた資料を持ってきました。
その内容は結論から始まってその結論の根拠となることが整然と書かれていました。
しかし、その内容を見てみると都合の悪いことはまったく書かれていなくてまるでベンダーの営業資料のような内容でした。
この人は相手を説得するという手法をどこかで学んでいたのでしょう。


私はこの人に対して不信感を持ちました。
そして私が根拠に偏りがあることを指摘するとそのことはわかっているとその人はいいました。
それを聞いて他の参加していた人たちも不振感をいだいたようでした。
もちろん偏った主張をすることがよくないのですが、資料を作って理論武装してくるところが余計に不信感を持たせたのだと思います。


また議論を相手を打ち負かすことを目的に使う人もいます。
権力闘争をしている場ではそれでいいのでしょうが、プロジェクトなどで協力してもらわなければいけないメンバーに対して議論で打ち負かすことはかえって逆効果の場合があります。
もちろん言うべきことは言う必要がありますが、相手も感情のある人間であることを忘れてはいけないと思います。


こう考えると議論をするというのは結構危険なことだと思います。
それを念頭において有意義な議論ができるようにしたいですね。