メディアとしてのIT
前のエントリー「デフレのITビジネス」ではあまりにも製品の陳腐化が激しいため価格の下落が激しいということを書きました。
そして、受託開発や派遣ビジネスなどIT業界で主なビジネスモデルがITゼネコンの凋落やグローバル化によって斜陽産業化しつつあります。
これは日本だけでなく、主要先進国の企業ではどこでも中国やインドなどの新興国にアウトソースすることによって人件費を下げようとしています。
このように見てくるとITビジネスは絶望的に思われますが、実は希望の光が少しだけあります。
まず一つ目はスマートフォンとタブレットの隆盛です。
iPhoneの爆発的な人気からはじまりiPadやAndroid携帯など多くのユーザーがスマートフォンを持つようになりました。
それにしたがってスマートフォンのアプリの需要も増えていまやスマートフォン開発者は引く手あまたです。
これからはまちがいなくPCは衰退し、クライアントマシンとしてはスマートフォンとタブレットが主流になるでしょう。
次にFacebookやTwitterなどのソーシャルメディアの台頭です。
2004年くらいから日本でもMixiなどのSNSが出てきましたが、サブカル的な性格が強くビジネスに利用されるまでにはいたっていませんでした。
しかし、去年くらいからFacebookとTwitterが日本でもブレイクし、大人が使えるサービスとして定着してきました。
このようなIT業界の状況を見ていて気づいたのが、これからのITの目的はメディアの創出なのではないかということでした。
AppleはiTunesという音楽やアプリを配信するメディアを作りました。また、タブレットでは電子書籍のメディアを作ろうと各社しのぎを削っています。
これらのメディアはどちらかというと提供者側からの一方的な性質が強いのでマスメディアのネット版と言えると思います。
次にFacebookやTwitterはソーシャルメディアという人々の数珠つなぎ的な関係をネット上に実現しました。
YouTubeやUstreamは動画を通して、またFourSquareは現在いる位置を使って人々をつなぎました。
こちらは口コミ的なメディアのネット版でマスメディア的なものより情報の伝搬力は強い傾向にあります。
マクルーハンは「メディアはメッセージである。」といいましたが、例えばiTunesは音楽提供者の表現の欲求なのかもしれませんし、Facebookは組織に縛られている個人の自由への渇望がメッセージなのかもしれません。
そういったメッセージを増幅し広めていくことを多くの人が望んでいるように思えます。
コンピューターは計算する機械であり、企業では仕事を自動化し効率化する道具として発展してきました。
しかし、ネットワーク化されたことによってメディアとなり人間の神経を拡張する機械へと進化したのだと思います。
これからITは人減らしの内向きな目的ではなく、メディアを作り出し人間のコミュニケーション能力を拡張する手段として発展していくのではないでしょうか。
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